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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)400号 判決

原告

高泰善

被告

土居輝子

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

一  原告

1  被告は原告に対し、五五〇万円及びこれに対する昭和五二年七月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  被告

主文同旨

第二主張

一  請求原因

1  事故

(一) 日時 昭和五二年七月一日午後六時三五分ころ

(二) 場所 大阪府松原市丹南二丁目二四〇番地

(三) 事故車 普通乗用自動車(八八泉う七三八四)

(四) 運転者 被告

(五) 同乗者 原告

(六) 態様 被告は事故現場交差点を東から北へ右折するに際し、右側後方車線を直進してくる大型貨物自動車(大阪八八あ一〇九五、宮崎新一運転)があるにもかかわらず、右宮崎車の直前を時速約四〇キロメートルで右折進行し、自車右側部を右宮崎車に衝突させたうえ、自車を同交差点西角の田圃に落下せしめ、助手席に同乗中の原告に傷害を負わせたもの

2  帰責事由

自賠法三条の運行供用者責任、民法七〇九条の一般不法行為責任(右折不適当の過失)

3  損害

(一) 原告は本件事故により頭部左膝部打撲症挫傷、腰部打撲捻挫傷、胸部捻挫症、第一二胸椎圧迫骨折の傷害を受け、関谷病院に昭和五二年七月一日と二日通院し、生和病院に同月四日から昭和五四年七月一二日まで七三九日間通院(実通院日数四五〇日)し、同日第一二胸椎に奇形を残す症状固定との診断を受け、右は後遺障害等級一一級七号に認定ずみである。

(二) 治療費 三九万九六四八円

(三) 通院交通費 九万九〇〇〇円

(四) 休業損害 三四七万五〇三三円

原告は事故当時主婦として稼働するかたわら、住友生命の保険外交員及びサンダルのミシン工として働いており、事故前三か月間の総収入は四二万一五〇〇円であつた。原告は本件事故によりこれらの仕事を全てやめたものであり、治療期間中の休業損害は、右三か月間の総収入四二万一五〇〇円を日数九〇で除し治療期間日数七四二を乗じて得た三四七万五〇三三円となる。

(五) 逸失利益 四一〇万三一二四円

原告は前記症状固定時五一歳で、その後遺症状は一生続くものであり、昭和五三年の平均賃金によれば逸失利益は月収一一万九〇〇〇円に年間月数一二を乗じ賞与三五万〇四〇〇円を加算した一七七万八四〇〇円に就労可能年数一六年に対応するホフマン係数一一・五三六を乗じた額の二〇パーセントにあたる四一〇万三一二四円となる。

(六) 慰藉料

(1) 通院分 一二〇万円

(2) 後遺症分 一七九万二〇〇〇円

なお、原告は治療期間中に夫と死別し収入の道が全く閉ざされたが、被告は右期間中の休業損害も一部しか支払つていない。原告は第一二胸椎にくさび状の変形を残す後遺障害を残し、背部痛のため二、三時間の立位の後は横になつて休息しなければならない状況にある。

(七) 弁護士費用 五〇万円

4  損益相殺

原告は自賠責保険より後遺症保険として二二四万円の支払を受けたほか、加害者側富士火災より休業損害として一月当り一三万五〇〇〇円ないし一三万九〇〇〇円相当の割合で昭和五四年三月まで損害金の内払を受けている。

5  よつて、原告は被告に対し、右損害金の内五五〇万円及びこれに対する本件事故の日である昭和五二年七月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2は認める。

2  同3は知らない。

なお、同3(一)の第一二胸椎圧迫骨折は本件事故によるものではなく、原告主張の後遺症も本件事故と関係がない。同3(四)について、原告は昭和五三年一月二三日にはミシンサンダルの仕事に復帰し、仮にそうでなくても同年九月二一日時点では仕事のできる状態に回復していた。

3  同4のうち、原告が自賠責保険より後遺障害保険金二二四万円の支払を受けたことは認める。

三  抗弁

1  過失相殺

被告は、本件事故当日の午後六時ころ、羽曳野病院から本件事故車で帰宅しようとしていたところ、全く面識のない原告ともう一人の女性から同乗させてくれるよう依頼された。被告は当時運転免許取り立てで運転に自信がなかつたので(なお、本件事故車にはいわゆる初心者マークがつけてあつた)、自分は免許取り立てで人を乗せるのは自信がないと断わつたのであるが、原告らから雨も降つているからどうしても乗せてほしいと懇請され、やむなく同乗させたところ、本件事故が発生したのである(なお、もう一人の女性は事故前に下車していた)。

従つて、原告は被告の運転技術を承知して同乗していたのであつて、この点で相当割合による過失相殺がなされるべきである。

2  損害の填補等 五六九万八一八一円

(一) 休業損害内払 二六七万九三三四円

(二) 治療費 五七万八八四七円

(1) 関谷外科分 三万四三〇〇円

(2) 生和病院分 二九万八二二〇円

(3) 国民健康保険求償分 二四万六三二七円

(三) 自賠責後遺障害保険金 二二四万円

四  抗弁に対する認否

抗弁1は争い、同2は認める。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因1、2は当事者間に争いがない。

二  傷害

1  証人関谷幸永の証言(第一、第二回以下同様)により原本の存在と成立の認められる甲第二号証の一、証人高橋敬二の証言と弁論の全趣旨により原本の存在と成立の認められる甲第二号証の二ないし五、原本の存在に争いがなく証人高橋敬二の証言によりその成立の認められる甲第二号証の六、原本の存在と成立に争いのない甲第三号証、乙第四、第五号証、成立に争いのない乙第三号証、昭和五二年七月四日生和病院で撮影の原告のレントゲン写真であることに争いのない検甲第一号証、関谷外科で撮影の原告のレントゲン写真であることに争いのない検乙第一号証、生和病院で撮影の原告のレントゲン写真であることに争いのない検乙第二号証、昭和五四年七月五日同病院で撮影の原告のレントゲン写真であることに争いのない検乙第三号証、証人高橋敬二の証言、証人関谷幸永の証言、弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和五二年七月一日本件事故直後関谷外科で診療を受け、五日間の加療を要する頭部左膝部打撲症挫傷、腰部打撲捻挫症、胸部捻挫症との診断を受け、同月二日通院して転医し、同月四日生和病院に赴き、腰背部左膝部挫傷との診断を受け、以後通院を続けて湿布、牽引、マツサージ等の治療を受けていたが、腰背痛がいつまでもとれないことから医師が疑問を抱き、昭和五三年一月九日レントゲン撮影により第一二胸椎に圧迫骨折の存することが認められたため、右腰背痛は右圧迫骨折によるものと診断され(乙第四号証の第一二胸椎圧迫骨折との記載はこのころ新たに記入された)、その治療のためマツサージ、リハビリテーシヨン等の処置がとられたものの、症状の改善がみられず、結局昭和五四年七月一二日、第一二胸椎にくさび状変形があり、自覚症状として背筋痛腰痛を残す症状固定との診断を得て、同日通院を打切り(実通院日数四五〇日)、後遺障害等級一一級七号に認定されたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、原告が本件事故により少くとも頭部左膝部打撲症挫傷、腰部打撲捻挫症、胸部捻挫症の傷害を受けたことは明らかであるが、第一二胸椎圧迫骨折及びこれに基く後遺障害については、原告は本件事故によるものと主張し、被告はこれを争うので検討する。

2  原本の存在と成立に争いのない甲第九ないし第一二号証、前掲甲第二号証の一ないし六、乙第三ないし第五号証、検甲第一号証、検乙第二、第三号証、証人高橋敬二及び同関谷幸永の各証言、弁論の全趣旨によれば、第一二胸椎圧迫骨折は尻もちをつく等の脊柱に沿つた垂直方向からの急激な外力により生ずることが多いものであること、本件交通事故は、被告運転車両が右折する際右後方車輪と衝突し、あわてた被告がアクセルを踏み込んで自車を暴走させ道路から田圃に落下させたもので、同乗していた原告は上下方向の外力を受けていること、本件事故後まもない昭和五二年七月四日生和病院での初診療時に撮影したレントゲン写真の一角には(右写真は第三ないし第四腰椎を中心として撮影されている)第一二胸椎の圧迫骨折が写し出されており、昭和五三年一月九日の再度のレントゲン撮影により右骨折が確認されて後は、担当医らは右骨折が本件事故の際に生じたもので、初診時に見落としたものと解釈していることが認められ、右認定事実を左右する証拠はない。

右認定事実によれば、原告主張のように、第一二胸椎圧迫骨折は本件事故により生じたものと一応考えられなくはない。

3  しかしながら、証人高橋敬二、同関谷幸永の各証言によれば、第一二胸椎に新鮮な圧迫骨折を負つた場合、当該部位に激痛を生じ、ハンマーによる叩打に対しては非常な疼痛を感ずるものであることが認められる(右認定を左右する証拠はない)ところ、前掲乙第三ないし第五号証、検甲第一号証、検乙第一号証、証人高橋敬二、同関谷幸永の各証言、弁論の全趣旨によれば、原告は、事故当日の昭和五二年七月一日関谷外科において、意識も明瞭で頭重感はあるも頭痛や吐気はなく、前頭部と左膝部に外傷と痛みがあり、ハンマーによる叩打痛が腰部に存したため、頭部、左膝部、腰部(第三ないし第四腰椎を中心として)のレントゲン撮影が行われたが、異常所見は認められず、翌同月二日の通院時に左胸部に呼吸時の痛みを訴え、当日他に転医したこと、その二日後の同月四日生和病院に赴き、腰痛と腹痛を訴え、第三ないし第四腰椎を中心としたレントゲン撮影が行われたが、その結果については特に異常がないとされたこと、もつとも、右レントゲン写真の一角には第一二胸椎圧迫骨折も写し出されていたが担当医は気付かなかつたこと、以上の事実が認められ(原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右する証拠はない)、右認定事実によれば、原告は、関谷外科及び生和病院の初診時に、いずれも第一二胸椎の圧迫骨折をうかがわせるに足る訴えをしておらず、各診療医の方も、原告の主訴、自覚症状、診察結果等からして、そろつて第一二胸椎圧迫骨折の存在の可能性を疑うこともなく、そのレントゲン撮影の必要も認めず、もつぱら腰部の診察に重点をおいたものと認められる。

この点について、関谷医師は、その証言において、検甲第一号証に写されている圧迫骨折が新鮮なものであるとしたら、ギブスベツドに固定して絶対安静を要する程度の重傷であり、患者は非常な激痛のため歩行も困難で局部の痛みを訴えるはずであるし、外科医としては、常識として腰または背部の痛みの訴えがある場合、ハンマーの叩打等により損傷部位の調査を行うが、その際第一二胸椎は脊椎の中でも諸検査の指標となる部位であるから、これに新鮮な圧迫骨折がある場合、見逃すはずがない旨明言しており、前記初診時に第一二胸椎圧迫骨折を疑わせる症状が原告になかつた以上、検甲第一号証に写つている骨折は、本件事故以前から存した既応症と考えられ、右事故を契機に偶然発見されたものではないかと述べているのである。

4  以上の次第であるから、原告の第一二胸椎圧迫骨折が本件事故に起因するものとの可能性は存するものの、他方右事故前から存した既応症であるとの疑いもいまだ払底し得ないところであり、本件にあらわれた証拠関係によつては、右事故と右骨折及びこれに基く後遺症状との因果関係を認定するには足りないものといわなければならない。

三  損害

1  治療費

原本の存在と成立に争いのない甲第四号証の一ないし六、成立に争いのない乙第七、第九、第一五、第二九ないし第三一号証、弁論の全趣旨によれば、前記関谷外科での治療費は三万四三〇〇円、生和病院での治療費は五四万四五四七円、以上合計五七万八八四七円であることが認められ、右認定を左右する証拠はない。

ところで、前記二1認定のように、生和病院で昭和五三年一月九日再度のレントゲン撮影により第一二胸椎圧迫骨折が確認されて以降は、この点が治療の対象とされており、右再度のレントゲン撮影の端緒は、原告の腰背痛が事故後半年たつても改善しないことに担当医が疑問を抱いたためであること、後記認定のように、原告は同月二三日以降本件事故後休業していた従前の仕事に復帰していることなどからすると、原告の右事故による傷害は同月九日ころにはすでに治ゆしていたものと推認でき、右事故当日の昭和五二年七月一日から第一二胸椎圧迫骨折に基く症状固定日の昭和五四年七月一二日までの通院期間中、昭和五三年一月九日以降の通院治療については右事故と関係があるものとは認め難い。

そこで、前記治療費合計のうち本件事故と相当因果関係を有する昭和五二年七月一日から昭和五三年一月八日までの通院治療に要した費用を求めるに、前掲甲第四号証の一ないし三によれば、昭和五二年七月一日から同年一一月末日までの治療費合計は二七万五〇二六円であることが認められ、前掲甲第四号証の四によれば、同年一二月一日から昭和五三年二月二七日までの治療費合計が六万三三三八円であることが認められるので、昭和五二年一二月一日から昭和五三年一月八日までの治療費はその期間からみて右の半額三万一六六九円程度と推認できるから、結局本件事故による傷害の治療に要したのは三〇万六六九五円と認めるのが相当である。

2  通院交通費

前掲甲第四号証の一ないし四、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、原告は、自宅から大阪市生野区巽北三丁目一五番一三号所在の生和病院へ、事故後まもない最初の一〇日間はタクシーで通院し、その後はバスで通院したが、タクシー代は片道五〇〇円程度、バス代は片道五〇円程度であつたこと、生和病院の初診時から前記昭和五三年一月八日までの通院回数は一一二日程度であつたことが認められ、甲第六号証のうち右認定に反する部分は原告本人尋問の結果に照らして採用できず、他に右認定を左右する証拠もない。右事実によれば、本件事故態様や初診時の症状からみて一〇日程度のタクシー利用もやむをえないものと認められるので、原告は、通院交通費として、タクシー代往復一〇〇〇円に一〇日分を乗じた一万円、バス代往復一〇〇円に一〇二日分を乗じた一万〇二〇〇円、合計二万〇二〇〇円を要したものと認められる。

3  休業損害

原告は、事故当時主婦として稼働するかたわら、住友生命の保険外交員及びサンダルのミシン工として働き、事故前三か月間の総収入が四二万一五〇〇円であつた旨主張するところ、弁論の全趣旨により原本の存在と成立の認められる甲第五号証の一、証人増田京子の証言、原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故当時住友生命の保険外交員として働くほか、増田京子の営むサンダルミシン加工業の従業員としても働いていたことが認められ、保険外交員としての収入については、前掲甲第五号証の一によれば、その月額給与の事故前昭和五二年四月から六月までの三か月合計は一二万九一三四円であつたことが認められ、増田方での給与については、甲第五号証の二に事故前三か月間の合計が二九万二三六六円である旨の記載が存するものの、右は成立に争いのない乙第二号証の記載内容と齟齬しているほか、証人増田京子の証言によつても十分な根拠に基いて記載されたものとは認め難いことからして採用し難く、他に原告の増田方での給与額を認めるに足る証拠もないので、原告の事故前の収入額総計を正確に把握しえないのであるが、前記増田方で稼働していることは事実であり、生命保険外交員として前記収入額を得ていることからして、事故当時四九歳の原告は少くとも賃金センサス昭和五二年産業計企業規模計学歴計四五歳ないし四九歳の女子労働者の年平均給与額一五九万二〇〇〇円を下らない総収入を得ていたものと認めるのが相当である。

次に、前記認定の本件事故による傷害の部位程度、右事故と因果関係の認められる通院治療は昭和五三年一月八日までで、それまでの通院実日数は関谷外科二日、生和病院一一二日程度であることのほか、証人東井長治の証言とこれにより成立の認められる乙第一号証によれば、原告は前記増田方へ同月二三日から再び働きに出ていたことが認められ、証人増田京子の証言及び原告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を左右する証拠もないことなどからすると、本件事故による原告の休業期間は右事故の日から昭和五三年一月八日までの一九二日間を超えないものと認めるのが相当である。

従つて、原告の休業損害は、年収一五九万二〇〇〇円を年間日数三六五で除し休業期間日数一九二を乗じて得た八三万七四三五円となる。

4  逸失利益

前記認定のように、原告主張の後遺症状は本件事故によるものとは認め難いので、逸失利益の主張は認められない。

5  慰藉料

前記認定の本件事故の態様、原告の傷害の部位程度、通院期間のほか、原被告各本人尋問の結果によれば、被告は、本件事故当日の午後六時ころ、羽曳野病院前で、おりからの強い雨で雨やどりをしていた従前面識のなかつた原告外一名の女性から懇請されて自車に無償で同乗させ、右女性の下車後走行中本件事故を惹起したことが認められ(なお、被告は、当時免許取りたてを理由に原告に対し同乗を断わつたのに、さらに懇請されて止むなく同乗させた旨主張し、被告本人尋問の結果中にはこれに沿うかのごとき部分が存するけれども、ただちに採用し難く、他に右同乗拒絶の事実を認めるに足る証拠もない)、右いわゆる好意同乗の事実関係をもあわせ考慮すると、原告の慰藉料としては四〇万円をもつて相当と認める。

四  過失相殺

被告は抗弁1のとおり主張するが、原告の同乗に関する事実関係は前記三5認定のとおりであり、右事実をもつてしてはいまだ過失相殺を論ずる余地はなく、慰藉料の斟酌事由に止まるものと解すべきである。

五  損害の填補等

抗弁2の事実は当事者間に争いがない。

六  以上の事実によれば、原告の本件事故による損害はすべて填補ずみであるから、本訴請求は理由なしとして棄却すべく、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 矢延正平)

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